「傭兵」はヨーロッパ史を語る上で欠かせないファクターです。ナショナリズムが生まれる前、祖国愛,忠誠とは対極の世界に生きた「傭兵」。本書はヨーロッパ史を 傭兵の興亡から眺める一冊となっています。
職業としての「傭兵」
「売春は世界最古の職業で、傭兵は二番目に古い。」
傭兵は古代オリエント時代から存在している職業です。常備軍を持たない古代では、傭兵と徴兵で軍隊が形成されていました。
貨幣経済が出現する前は、無償で兵役に就くことがステータスとされていました。しかし、献身と貨幣価値を同列にみる向きが強くなると、傭兵への依存が始まります。貨幣経済が貧富の差を招き、兵役は給料が出される職業となる。徐々に国家自体が衰弱すると、軍役は傭兵にますます依存し、軍に大量に組み込まれるようになります。
傭兵の興亡
ローマ帝国は、一時期パックス・ロマーナを謳歌しました。しかし制度疲弊を起こし崩壊が迫ると、支配者は政権の内部敵より、外部の傭兵に庇護を求めるようになります。これにより傭兵はますます力を蓄えました。力を得た傭兵は、自らを支配者とするために権力簒奪に動きます。日本においても平清盛がこれにあたると、本書では指摘されています。
中世になると「戦う人」が専門職となり、戦士階級が誕生します。日本では武士,ヨーロッパにおいては騎士文化がこれにより花開きます。しかし時代が荒れると騎士たちは傭兵として金を稼ぐようになり、封建正規軍制度も崩壊に向かいます。傭兵騎士団は、戦いあるところに出現し、道中の村落を荒らしながら彷徨い歩くのでした。
こうして見ると、社会の成熟,経済差が顕著になるとともに傭兵は出現し、力を蓄えた傭兵は支配者の地位を脅かす。社会が崩壊した後は、また他国に傭兵として吸収される、を繰り返しているようですね。
傭兵の輸出産業
バチカンの衛兵がスイス人であることは有名です。スイスは山間の土地で、時計産業ができるまでは目立った産業がありませんでした。険しい山地で足腰を鍛えられたスイス男性は、「傭兵産業」で出稼ぎに出たのです。
モルガルテンの戦いで、スイス軍は神聖ローマ帝国のオーストリア公国軍を破ります。この戦いの後、ハプスブルク家の支配に対して自由自治を守るため、ウリ,シュヴァィツ,ウンターヴァルデンの三州は1291年「誓約同盟」を結成します。「誓約同盟」は、国家としてスイスの出発点とされており、現在でもスイスの建国記念日(8月1日)はこの文書に基づいています。
スイス傭兵は、屈強な肉体のみならず、宗教,思想にも派遣先で従順に従いました。その結果、同じスイス傭兵同士で戦うことも しばしばあったそうです。しかしノヴァラの戦いでは神聖ローマ皇帝軍とフランス軍の両陣営が双方とも、多数のスイス傭兵を軍に組み込んでいました。凄惨な同士討ちを避けるため、神聖ローマ皇帝軍のスイス傭兵はフランスに寝返りました。
このように列強国に翻弄されることに辟易したスイス各州は、「誓約同盟」自身が列強国となる必要があることを強く認識しました。しかしマリニャーノの戦いで大敗したスイス軍に対してフランス王 フランソア一世は、スイスを傭兵として飼い続けられる「永遠の協調」を結びました。こうしてスイスは、傭兵産業に力を注ぐ「血の輸出」の道をとらざるを得ませんでした。
スイス傭兵は「朕は国家である」 ルイ14世でも主力部隊でした。フランス王への忠誠から、高い評価を得ていたようです。
しかし長らく最強を誇ったスイス傭兵部隊も、こと平野部ではドイツ傭兵部隊 ランツクネヒトに遅れを取るようになりました。
ランツクネヒトと傭兵時代の終わり
ランツクネヒトはスイス傭兵部隊を真似することから始まりました。しかし、わずか十数年でスイス傭兵部隊とライバル関係となるまで力をつけたようです。
『五人のランツクネヒト(Die fünf Landsknechte)』(Wikipedia 「ランツクネヒト」より)
ランツクネヒトは、そのきらびやかな衣装が有名です。「自由」のアイデンティティの表れと本書では述べられています。またランツクネヒトは、国家管理のスイス傭兵部隊と異なり、あくまで私兵組織でした。しかしランツクネヒトの「自由」は、ともすれば戒律のなさともなります。
時代が進み、火器の扱い,指揮系統,組織敵戦闘が重要視されると、統制のとれた軍隊が力をもちます。こうして徐々にランツクネヒトは力を失い始めます。
多数の傭兵が投入されたドイツ三十年戦争。長らく続いた戦争の結果、神聖ローマ帝国の支配は崩れ、帝国内の侯国は国家主権を手に入れました。徐々に兵士たちは自分たちの国家を意識するようになったのです。ここにナショナリズムの原型が生まれ、かくして傭兵の時代は終わりを迎えました。戦闘部隊の中核ではなく、あくまで特殊な補助部隊としての地位に格下げられたのです。
「自由」を謳った傭兵たちは、国家の駒となったのでした。
現代の傭兵
現代ではバチカンの衛兵などを残し、傭兵は数を大きく減らしています。バチカンの衛兵は形式的な側面が強く、本当の意味で「傭兵」として戦っている者はほんの僅かでしょう。
本書では、そんな現代に残る傭兵たちを以下の言葉で表しています。
彼らが敢えて死地に赴くのは自分たちの身体に巣くう、抑えがたい冒険心の虫がそうさせるのかもしれない。
(中略)
彼らは自分たちのアイデンティティーを求めて砲弾の下をかいくぐる。しかし死と隣り合わせの場所にしか自己実現できない彼らは悲しい人間たちでもある。
ー本文より引用
2014年、ISに参加しようとした北海道大学の男が「私戦予備および陰謀罪」の容疑で事情聴取されました。彼は「ISに参加することを計画した」ことを罪に問われたのです。
勝手に国外に出て傭兵として戦った場合は、日本の法律は適用されず、私戦予備および陰謀罪を問われることはありません。もちろん戦地では死と隣り合わせですし、企業や個人が雇う非合法戦闘員は捕虜の規定が適用されない可能性が高いです。また、日本の救助を求めることは ほぼ不可能ですのでご注意(?)を。
現代の日本では、各職業の専門性は高くなってきており、コンサルタントや外部委託を頼むケースが増えています。また終身雇用が崩れ、企業への社員の忠誠度とともに定着率が減少しています。非正規雇用やフリーランスは、まさに傭兵のような働き方と言えるでしょう。
その一方で、同じ専門性を有したフリーランス同士はコミュニティを形成して、知識を共有し高め合っています。これからは会社という国家に属さず、技術や専門性を旗印にした傭兵部隊が、社会の大きな一端を担うのではないでしょうか。
まとめ
古代オリエントから、スイス傭兵部隊、ランツクネヒトに至るまで、傭兵の概観が記された本書。傭兵は歴史の必然性によって生じ、また消えていきました。彼らの生き方は、独自の価値観,死生観を形成したことでしょう。
ヨーロッパ史の華やかさと泥臭さの影に生きた傭兵。彼らの生き様を知る手がかりとなる一冊です。