神話にはその国の民族性が反映されるものです。本書によると日本神話に見られる特徴は、他国のそれとは異なるようです。
アマテラス
太陽の神 アマテラス。おそらく日本神話でもっとも有名な神ではないでしょうか。イザナギ,イザナミの子どものひとりで、天の岩戸隠れの話はあまりにも有名です。
本書では、アマテラスを他神話の最高神と比較しています。ギリシアのゼウス,北欧のオーディン(本文では、オージン)などの最高神はいずれも男性神で、かねてより存在していた怪物を打ち負かして地位に即きました。具体的なエピソードがいくつか本書には記されています。
アマテラスはこれらの神とは異なり、徹底して寛容で慈悲深く、また殺害に対してはひどい嫌悪感をもつ、とされています。弟神であるツクヨミがウケモチという神を殺害した話を聞いたときは、以後は顔を合わせることがないよう、昼と夜に別れて住むようになりました。
また、一般に男性神であることが多い最高神の他に、他神話の女性神とも比較されています。
他の神話の多くでは、強力な女性神は生殖力が旺盛で多淫である一方、日本神話の最高神であるアマテラスは純潔の処女とされています。さらにアマテラスは処女でありながら母神でもあるのです。
このことに対して本書では、日本人がもつ母への願望を、アマテラスにもっているとしています。
日本人はじつはみな無意識のうちに、母が「男にとっての女」ではなく、自分にとっての「母」であり、自分と不離の関係で密着した、一体の存在であってほしいという、現実にはその通りに満足されることのけっしてありえない強烈な願望を持っていることになります。
(中略)
神話のアマテラス大御神に、具現されている、日本人の理想の母の像は、子どもの罪を許さずに、厳しく罰する恐ろしい父親の像が、無意識に内在化された、フロイトの言う「超自我」とは、水と油のように違っています。
ー本文より引用
さらに展開は、「超自我」を無意識のうちに持つ人々のあいだでは、善悪の判断がはっきりと確立されて、規範に合わないものは容赦なく悪とみなされ排除される。それとは異なり日本では、互いに対立するものの間でも、一方が排除されることはせず、居場所を与えられ、共生する文化が営まれてきた、と続きます。
ちょうどこの記事を書いているときに、PS4『デトロイト ビカム ヒューマン』のクリア率に対して、以下のようなツイートがありました。やはり日本人は平和的な精神をもつ傾向が大きいのかもしれません。
78.7%が初回プレイで平和的革命を選び、78.8%が警官を見逃し、77.3%が「自由への行進」で兵に撃たれても攻撃しないことを選び、78%が「カムスキー」でクロエを撃たないことを選んでいます。
これらは何千もある国ごとの初回プレイ時統計の一部に過ぎませんが、いつか他の結果もシェアしたいですね— Niina: Become Human/谷口 新菜 (@NiinaBiiina) 2018年7月23日
スサノオ
アマテラスの弟神であるスサノオ。ヤマタノオロチ退治で有名な神ですが、何を隠そう天の岩戸隠れの原因となった問題の多い神でもありました。
イザナミへの思慕
アマテラスとツクヨミが、支配者として努めているのに対し、スサノオはイザナギの命に従わず、泣きわめき続けました。これは根の国に行ってしまった母神であるイザナミの元に行きたいからだというのです。しかし正確にはイザナミはスサノオの母ではありません。イザナギとイザナミが夫婦の縁を切った後に、イザナギの鼻から生まれたからです。
生まれてからすぐ母親と別れてしまった場合でも、人間には「普遍なる母なるもの」が存在するそうです(太母原型)。スサノオの心にはその太母が明らかに存在し、会ったことないイザナミに投影しています。しかし根の国に居るイザナミにそれを求めるのは叶わず、アマテアスに投影したのだといいます。
天に昇ったスナノオの悪事に対し、アマテラスは深い慈しみで許しを与えます。これこそ正にスサノオが求めていた母と子の関係なのです。しかしスサノオが服織女を殺害したことに対しては、さすがのアマテラスの逆鱗に触れ、天の岩屋に閉じこもってしまいました。
断ち切れぬアマテラスへの思慕
スサノオは高天原を放逐されましたが、立派な神として成長し、ヤマタノオロチ退治を成し遂げました。このとき、ヤマタノオロチの体内から得た草薙の剣(天叢雲)をアマテラスに献上しました。
この事に対し本書では、生まれてから天に行くまでの泣きわめきと、剣の献上に重なり合う意味が認められると言います。
「大母」の投影されたイザナミへの強烈な思慕に妨げられて、イザナギが彼に委せようとした、海あるいは天下の支配者の任務を、果たすことができずにいました。これは神剣をアマテラスに献上することで彼が、やはり「大母」の投影された姉神への止むことのない思慕に駆られて、手に入った地上の支配者の地位を、自分から放棄したことと、明らかに対応すると思われるからです。
ー本文より引用
スサノオが持っていたとされる「大母」への思慕。日本人は心のどこかで、絶対的な母性に対して拭いきれぬ思慕を持っているのでしょうか。
オオクニヌシ
最終章で語られるオオクニヌシはスサノオを祖先し、国づくりを行い、後にアマテラスの孫の天孫に国譲りを行いました。
オオクニヌシの妻(のひとり)はスサノオの娘であるスセリビメです。古事記では、根の国に住むスセリビメとオオクニヌシの婚姻に対して、スサノオが試練を与えたとされます。
本書では、スサナオは娘であるスセリビメに対して「大母」の像を投影していると言います。したがって、自分の元から引き離そうとしているオオクニヌシに対して、執拗な試練を与えたとされています。
太母からの解放と母殺し
オオクニヌシの成長のために母離れが必要なことを、他ならぬ母であるサシクニワカヒメは察知していました。そのため、オオクニヌシに対して根の国に行き、スサノオの裁量に任せるように命じました。
ユングによると、男性の誰もが持っている理想の女性像の具現はアニマと呼ばれ、アニマの助けを得るためには、「大母」から自我を離脱させなければならない。そのような心理的な母離れを妨げる「大母」の拘束力は「呑みこむ太母」となる。「呑みこむ太母」を退治する過程をユング派の分析心理学用語では、「母殺し」と呼ぶそうです。
本書では、日本人男性が「母殺し」を行うことは不可能に近いほど難しいと述べています。
母殺しをせずに成長したオオクニヌシ
オオクニヌシは、母であるサシクニワカヒメ自身から「母離れ」をされたおかげで、「母殺し」の過程を経ずに、根の国でアニマを表すスセリビメと出会うことができました。
スサノオの試練は擬似的な「呑みこむ太母」となりましたが、心理学用語で言う「母殺し」は果たしていません。これによりオオクニヌシはスサノオや他神話の英雄とは異なり、平和的なやり方で国づくりを成し遂げたとされます。
まとめ
物語として語られる日本神話に対して、心理学的な分析を行う本書。少し断定的な見方かもしれませんが、物語の神がどこか身近に感じられます。
「アマテラス スサノヲ オオクニヌシの役割」という副題の通り、古代日本人は神話の登場人物に自身の民族性と理想像を託したのかもしれません。